エスカレーター

もう20年以上も前のことですが、時折思い出す光景があります。
当時、私は高校生でした。実家は高知県ですが、岡山の高校に進学し、寄宿舎生活を送っていました。
瀬戸大橋の開通は私が高校卒業後でした。岡山県の宇野と香川県の高松とを結ぶ宇高連絡船のデッキから、徐々に出来上がっていく瀬戸大橋を眺めていました。
この連絡船は、JR(当時は国鉄)によって運行されていたので、船を降りると改札を通ることなく駅のホームに直結していました。
私がこの連絡船を利用していたのは、夏休みなどの長い休みで実家へと向かうとき。それはちょうど帰省客や旅行客などで、利用者が最も多い時期です。
連絡船を降りると、人々は急いで特急列車へと向かいます。何故なら、自由席で座ることができなったら、高知市を通過するまでの2時間はなかなか降りる人がいないからです。


高知方面行きの特急列車のホームまでにエスカレーターがありました。
確か、年末に帰省していたときでしょうか。そのエスカレーターに私が乗っていたとき、一人のおばあさんが転んでしまいました。人々の間を縫うように、数段転げ落ちてしまったのです。
一緒にいたそのおばあさんのご家族が、すぐに駆けつけました。でも、急いでいただけではなく、周りに対して気恥ずかしさもあったのでしょうか。そのおばあさんを叱っていました。
そのときに周りにいた人達は、私自身も含めて、事の成り行きをただ視線で追っていただけでした。そう、今ホームに止まっている特急列車に乗れるかどうかの方が大切でした。


その日私は、無事に列車に座ることができました。しかし、列車がホームを離れた後になって、後味の悪さののようなものを感じました。
ちょうどその頃の私は、十代後半の受験戦争最中です。偏差値教育とか色々な言葉をマスコミから聞きながら、進路について悩んでいた時期です。
エスタレーターで遭遇した一つの光景の中に、つい様々なことを結びつけて考えてしまったようです。


とりとめもないその考えは、今でもふと脳裏をよぎります。かといって、結論などないのでしょう。
望んでなった訳ではありませんが、会社勤務ということから離れてしまいました。
最近思うのは、今の私はエスカレーターの外にいるのだなということです。
現在、体調面、経済面などに不安や爆弾を抱えてはいます。でも、ここから何が見えてくるのか。ちょっとした冒険心や好奇心のようなものも感じます。
先のことは分からない。
それは、どんな人にとっても同じですよね・・・!

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