第38回アビリンピック全国大会

アビリンピック全国大会・表計算

11月2日~5日、アビリンピック全国大会が技能五輪と合同開催で、沖縄県那覇市で開催されました。
私も1日に高知を出発し、4泊5日で参加してきました

アビリンピック全国大会の表計算部門での出場は、2年前の大会以来、2度目となります。
前回は受賞することができなかったので、今回こそはメダルを獲るつもりで挑みました。
事前に参考書を読み込み、対策をとって臨んだのですが、今年の競技課題は難しく、手をつけられない箇所もいくつかありました。

大会最終日の成績発表、次々に発表される受賞者の中に、私の名前はありませんでした。

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沖縄のあたたかさ

11月になってたにも関わらず、那覇ではずっと半袖で過ごすことができました。
気候が暖かかったこともありますが、もう1つ、人の温かさも感じることができた沖縄への旅となりました。

今回は、競技終了後に時間があったので、母と2人で少し観光もすることができました。
ゆいレール(那覇市のモノレール)で、首里駅まで行き、そこからタクシーで首里城へ向かいました。1メーターほどの距離でした。
その日はあいにく雨が降っておりました。タクシーが首里城駐車場到着し、料金を支払った後、運転手さんは「待ってて下さい。」と言ってどこかへ向かいました。
10分後に運転手さんが戻って来られた時、総合受付で手配して下さったのでしょう、手押しの車イスと車イス用の合羽、母のための合羽の3点を持って来て下さったのです。
数百円の運賃だったのに、そこまで気遣って頂き、驚きと同時にとても嬉しかったです。

運転手さんにお礼の言葉を伝えた後、母の押す車イスで、首里城へ向かいました。
通常の道とは別に、スロープになっている通路があり、そこを進んでいると今度は警備員さんが声をかけて下さいました。
警備員さんが、母に代わって私の乗っている車イスを押して下さりました。自分の担当するエリアの端まで来ると、別の警備員さんが代わって下さり、首里城の門までたどり着くことができました。
そして帰る際は声をかけて下さいと仰って下さりました。

大会期間中の空き時間、雨は降ってたけど、とても心地よく観光を楽しむことができました。
本当にありがとうございました。

最後のアビリンピック全国大会?

今年は3月より勤務先が変わり、勤務時間も長くなりました。
そんな中でのアビリンピック全国大会へ向けての勉強は、体力的にも精神的にも負担を感じておりました。
だから、今回の結果がどうであれ、アビリンピックは今年で最後にしようと決めておりました。

大会から戻ってきて数日は、終わったという安ど感がありました。
でも、賞が獲れなかった悔しさ、これで最後にすることの後味の悪さが徐々に大きくなってきたのです。

そして決意しました。
来年も挑戦すると!!

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コメント

  1. 石井信行 より:

    はじめまして。私は徳島県代表として表計算を出場したものです。
    このブログを見て、私も当時の事を凄く懐かしく感じます。
    あれからもう約1年が経過しましたね。

    私は、徳島県代表選手として、開会式の壇上にあがる役も務めました。
    全国の精鋭が集まって、いいライバルが出来て、またこの人たちと会えれたらいいです。

    残念ながら、今年の39回大会は、体調不良があって私はでません。
    しかし、来年、また表計算種目で出場し、そして金賞をめざすつもりです。

    また、夢の大舞台で会えるといいですね。
    お互いにがんばりましょう。

    • 下ちゃん より:

      石井さん、はじめまして、下ちゃんです。
      コメントありがとうございます。

      私も今後のアビリンピック出場を迷いましたが、仕事との両立や体調面などから、アビリンピック卒業することとなりました。

      でも、5回も全国大会に出場させて頂き、とても良い経験となりました。
      石井さんもメダル獲得目指して、是非、頑張ってください。

      • 石井信行 より:

        ありがとうございます。
        管理人さん(下ちゃん)は卒業されるのですね。非常に残念です。
        欲を言うのですが、表計算種目で協議を競った人たちとどこかで集まって
        打ち上げでもできたらいいですね。集合写真も撮りたい気持ちです。

        お互い、障害に負けず共に頑張りましょう。
        私は、42歳で中堅クラスまで行きましたが、生きているかぎり何度でも
        挑戦します。