P.S.2005年秋 ~小倉さんのポエム~

とっちゃんが死んで15年9カ月
母ちゃんが死んで1年9カ月
あなたたちの心残りが“私”にあったであろうことを思うとき私の判断が揺れるのです
「母ちゃんが、お(まい)を体の弱い子に生んでしもた…」
それは
自分の失敗や過ちを他人(ひと)のせいや社会のせいにする“今日的教育”を受けなかった
あなたたちの潔さ
我が子に“障害児”を持つという偶然の責任を負わされ
世間に詫び国に詫び我が子に詫び続けた生涯
母ちゃん
もし、人としての値打ちが問われるなら“障害者”か“健常者”かなどではない
その人なりに与えられとる“持ち駒”をどれだけ有効活用できとるか―です
障害者の認定基準は“マトモな部品”がどれだけ付いとるかなんかではない
健全な社会生活を営むための生活基盤と命がどう保証されとるか―です
私が“障害者”であり続けねばならなかったのは
“脊柱側弯症”という状態が障害になる時代に
その不都合を認められず満足な法的援助が受けられない日本という国に生まれただけの話
そのために生活や命が保証されにくかっただけの話
母ちゃんの責任などでは断じてないのです
そんなカラクリに気づくことも教えられることもないまま
自分を責め続けて生きた母ちゃんに
「母ちゃんのせいなんかじゃない」と思い込ませることが母ちゃんたちを救うことと信じた
私の若さ
今、私はこう言い換えます
 母ちゃん
 とっちゃんと母ちゃんの子供に生んでくれてありがとう!
 もう、心配せいでえいけんな
 私を障害者に生んでくれたんは母ちゃんのお手柄じゃったんぜ
あなたたちの娘は“障害者”の正体に気づいています
“障害者”を無くす方法に気づいています
「山より太い(しし)は出ん」
とっちゃん
あなたの言った通りです
(秘めだるま2006年春の号より)

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