障害者にとっての障害

私が小学校の社会の授業で、障害者問題という言葉を初めて耳にしました。
その時にふと思ったのは、障害者がいるということがそんなに問題だろうかということです(笑)
秘めだるまと関わるようになってからは、自分自身でも障害者に関する本を色々と読みました。
その中で、一番なるほどと思ったのは、障害ということには3つの側面があるということです。
残念ながら、どの本で読んだことかは全く記憶に残ってないので、今日は私なりの言葉で紹介したいと思います。


①機能的障害
これは、歩けるかどうかといったように、事故や病気などにより身体の機能が低下・喪失していることです。
これについては、医学の進歩や本人のリハビリなどの努力くらいしか対処方法はありません。そして当然のように症状によっては、これらにも限界があります。
②行動的障害
これは、具体的に外出が出来るかどうかや、本が読めるかどうかといったことです。
一見、①の機能的障害と同じようにも思えますが、例えば視力が多少弱い程度であれば、メガネやコンタクトレンズを使用することによってカバーできることも多いです。
私の場合でも、自分の足で外出したら週に1,2回が限度となるくらいに負担が大きいのですが、電動車いすで毎日のように出かけています。
つまり行動的障害は、様々な福祉用具などによって緩和されることもあります。
③社会的障害
これは、身近なところでは買い物にいけるかどうかに始まり、仕事や遊び、様々な社会の中での行動がどこまで可能かを指します。
例えば私の場合、今はまだ店内が狭い場合には、店の前で電動車いすを降りていますが、先々は立ち寄ることが可能な店というのも限定されてるかもしれません。
就業支援といっても、日本で行われている障害者向けのものもいくつもありますが、どこかピントのずれたものが多いように感じられます。


よく障害者に対する同情がどうだといった議論も耳にします。でも、それは①の機能的障害にしか目を向けていないようにも感じられます。
欧米などに見られる充実した福祉制度の上において、③の社会的障害は限りなく小さくしていくことは可能です。
そのための費用はどうすると言われますが、歴代のアメリカ大統領の一人が次のように発言しています。(これも誰だったかはっきりしないのですが、レーガンかその頃です。)

様々な側面から試算した結果、障害者の生活を保障するより、障害者の働ける環境を整えて働いてもらう方が経済的効果も高い。

日本の福祉政策との違いを感じますよね・・・
障害ということをこの3つの側面に分けて考えることによって、見えてくるものもあるのではないでしょうか。
最後に、秘めだるまの小倉さんの言葉を紹介します。

私は障害者として生まれてきたことが不幸だったのではない。
日本の、愛媛の、障害者として生まれたのが不幸だった。


今日は後ほど、小倉さんのポエムも紹介します。お楽しみに・・・。

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