もう一つのバリアフリー ~ひらきこもりへの挑戦⑥~

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マイノリティということ

マイノリティという言葉をご存知でしょうか。これは少数者という意味で、障害者という立場もマイノリティの一つです。
私の場合、もう一つのマイノリティ、セクシャル・マイノリティもあります。つまりゲイです。
障害者であるということは、私の歩き方、喋り方を知ればすぐに分かることなので、隠しようのないことです。
でもゲイということは、取り立てて言わない限りは分からないことなので、ほとんどオープンにはしてきませんでした。
家族に対してもこのことを打ち明けたのは三十代になってからでした。

いくつかのカミングアウト

自分の性的嗜好をオープンにすることを一般的にカミングアウトといいますね。
このカミングアウトには様々な段階があります。その最初が自分自身に対するカミングアウトなんです。
自分自身に?と意外に思われるかもしれませんが、これは自分でそのことを認めるということなんです。
人によって様々ですが、私の場合はこれに随分時間が必要でした。そういう思いがどこかにあっても、一時的なものだと思い込もうとしたり、なかなか自分でしっかり認めることはできませんでした。
今になって思えば、私が障害をもっているということで、私ばかりでなく妹たちも学校でいじめの対象となっていた昔の記憶が関係していたのかもしれません。文字通り親兄弟にまで迷惑をかけるのではと、どこかで感じてました。
自分がゲイであって、それでもいいんだというように思えるようになったきっかけは、同性愛者の方が書かれた何冊かの本を読んでからです。
それらの本のなかで、同性愛などに関することは人権問題なのだと書かれてました。
“人権問題”、この言葉に接したときに、様々なことが頭の中で結びつきました。
以前、小倉さんが言われていた言葉、
「問題は色々とあるけれども、差別される側の痛み、差別する側の思い上がり、それは共通なんや。」
そう、秘めだるまを通して自分が感じてきたことが、そのままゲイということにも結びつくということに気づいたのです。
自分の中での踏ん切りがついてからは、家族、親しい友人などにも機会をみてはこのことについて話すようになりました。
そして一年前にはブログ上でもカミングアウト、ゲイについての記事を書きました。

一つのキーワード

ブログ上でこういったことを書くにあたって、私の中で一つの思いがありました。
それは、インターネットで『障害者 ゲイ』と検索したときに、どんな情報が出てくるかということです。
十数年前まで、この言葉で検索して出てくるのは、ある重度の障害者でゲイの方のホームページやその方の執筆された本の紹介などでした。
ところが十数年前、その方は自殺をしてしまったのです。
現在、『障害者 ゲイ』で検索すると、その方を追悼するような記事などが表示されます。
もとより、そんなに多くの方が検索するようなキーワードではありませんが、どんな人がどんな思いでこの言葉を検索しているのかと考えてしまいます。
現在、この言葉での検索で私のブログ記事も表示されるようになりました。
『障害者 ゲイ』、この言葉を検索して私のブログに来られた方々に対して、一体自分がどういったことが伝えられるのか、まだまだ模索中です。
でも最低限、『障害者 ゲイ』でも生きている人間はいるんだというメッセージは伝えられることと自負しております。

本当のバリアフリーな社会へ

近年では色々な性的嗜好の方がテレビに登場したり、ドキュメントになったりもしてますが、まだまだ自分たちにとっては住みにくい社会です。
よく「そういう趣味」という言葉が使われたりもしますか、これは趣味でなければ病気でもありません。
自分で認めるかどうか、周りに隠し続けるかどうかは個人差がありますが、どの時代、どの民族にも一定の割合でいるものなのです。決して自分で選んでなったわけではありません。
障害者にとって住みやすい環境づくり、バリアフリーという認識は徐々に浸透してきてます。
それと同じように、この国に住む、この街に暮らす、あらゆる人にとって住みやすい社会。そんな認識がこれから高まってくることに期待したいと思います。

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