昨日、金光教高知教会にて、父の一年祭をさせて頂きました
父がお国替えをしてから、もうすぐ一年となる
父とは十年以上、ほとんど音信不通の状態だった
昨年の一月に親戚から手紙が届き、末期がんで入院していると知った
何度かお見舞いに行ったものの
69歳の誕生日を待たずにお国替えをしてしまった
私が幼い頃の父は
とにかく怖い存在だった
よく怒られた
でもある夜
ひどく叱られてから布団に入ってると
父の泣く声が聞こえたことがあった
障害者として生まれてきた私が
障害者初心者からスタートして、紆余曲折してきたが
私の両親にとっても
障害者の親というものは、初心者だったのだ
後になって思えば
不器用という言葉がそのままの
父の生き方だったように思う
父のお国替えから一年
親孝行らしいことを何もできなかったことを悔やむが
それ以上に悔やまれるのは
父と一度も喧嘩をしてなかったことだろうか
祖母と共に
今は御霊様としての父の存在
ここからの親孝行を
模索しながら生きてみたい
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