昨日、金光教高知教会にて、父の5年祭を家族と共にさせていただきました。
月日が経つのもはやいもので、父がお国替えされてから、ちょうど5年となりました。
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不器用だった父
私が小学校の頃、父は怖い存在でした。
叱られると、ひどく叩かれたりもしました。
ある夜のこと、父に叱られて叩かれた後、布団に入っていると奇妙な声が聞こえました。それは、私を叩いた後、泣いていた父の声でした。
今になって思えば、父も私と同様、不器用だったのだと感じます。
私が障害者をやるのが初めての体験だったのと同様に、私の両親にとっては『障害者の親』という役をするのは初めての体験だったのです。
いろんな意味で、暗中模索を続けながら、私は成人させてもらいました。
言えなかったこと
今になって思うと、祖母と父には結局最後まで私がゲイであるということは伝えられないままでした。
現在、私の部屋に祖母も父も御霊様としてお祀りさせていただき、日々ご祈念させていただいております。なにか、1部屋に3代が同居しているような感じでもあります。
お国替えされてからは、もう隠すことはできないので、祖母にも父にも思いのままにお祈りさせていただいておりますが、もし生前私がゲイだということを伝えたら、どんな顔をしたのだろうと、ふと思うことがあります。
御霊様となられた祖母と父にご祈念しながら、お力をお借りしながら、障害者であっても生きやすい社会、LGBTにとっても生きやすい社会となっていくために、自分に何が出来るのかを模索し続けていきたいと思います。