バカヤローの大合唱 ~音楽の風景(3)~

日本は世界的にも珍しいくらいの“第九王国”だと思います。
ベートーヴェンの交響曲第9番合唱付き、通称第九は年末になると全国各地で演奏されています。近年ではアマチュア合唱団というか、第九のために結成された合唱団が本当に多くあります。中には3万人で第九を歌う企画もあったりして・・・。
この曲は、オーケストラだけでなく、合唱団、4人のソリストを必要とする大曲なので、外国での演奏回数はそれほど多くないそうです。
日本では、徳島県のドイツ捕虜収容所で演奏されて以来、年末の定番曲となってますね。


私はベートーヴェンが大好きで、聴く方はもちろん、伝記も色々と読んできました。
どんな人の伝記でもそうですが、同じ人物の生涯を描いていても、筆者によって大きく異なります。
ベートーヴェンの伝記も大きく2つに分かれると思います。
一つは、楽聖として、偉大なる音楽家、そして不屈の人として描いたもの。もう一つは人間としてのベートーヴェンを描いたものです。
ベートーヴェンは晩年、聴覚を完全に失っていたため、筆談に用いた会話帳は貴重な資料となります。
実はベートーヴェンの弟子でもあったシントラーは、ベートーヴェンの死後、この会話帳の多くを焼却してしまいました。自分にとって師匠であり、偉大なる音楽家としてのベートーヴェンにふさわしくないものを消したのです。
そうやってベートーヴェンは、楽聖として描かれてきました。
一方で、エディッタ・シュテルバ夫妻は精神科医という立場から、『ベートーヴェンとその甥』という本を書きました。この本の中では、偏屈というだけでなく、精神は病に侵されていたという結論に至ります。
そして、この本を参考図書として挙げている伝記の多くは、人間としてのベートーヴェンが描かれています。
私が好きなのも、この人間としてのベートーヴェンなのです。
一度は遺書まで書いたけど死ななかった。頑固者なのにさみしがり屋。甥のカールを養子にしたいがために裁判まで起こしたけど負けてしまった。
決して、かっこいい人生ではありません。
でも、そんな中での様々な感情を、自分の音楽に注いでいったのでしょう。


第4楽章の中盤、O Freunde!(おお、友よ!)というバリトンの歌い出しから、合唱部分は始ります。
人類がみんな兄弟になろうと呼びかけるシラーの詩に、曲をつけ、数十年もかけてこの第九を完成させました。
これはあくまで私の見方なのですが、ベートーヴェンにとってこの曲は、バカヤローという思いもあったのではと思うのです。
次第に衰えていく聴覚、思うようにならない人間関係、そんなことへの苛立ちを、あえて壮大な人類愛を表現したシラーの詩にぶつけた。
私自身が年を重ねるにつれて、そんな空想が膨らんできました。
それと共に、そんな人間らしいベートーヴェンに、より親しみを感じるようになりました。
年末は、年忘れも兼ねて、バカヤローの大合唱を聴く。
他のベートーヴェン・ファンに怒られそうですが、そういうのもいいと思いませんか。


ちなみにCDの規格を検討する時に、この第九が一枚に収まるということを考慮して決められたそうです。

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